

1972年ウクライナ、キエフ近郊にてロシア-ウクライナ-ロマの家系に生まれる。精肉業に従事していた父親は、ウクライナ初のロックバンドのギタリストでもあり、母親はタップダンサー/シンガーだった。ユージンが14歳の時、一家はチェルノブイリの原発事故によって祖国を離れることを余儀なくされ、以降7年にわたって東欧各地の難民キャンプを転々とする。ポーランド、ハンガリー、オーストリア、イタリアでの暮らしを経て、1993年、難民移住プログラムを利用して家族でアメリカのバーモント州に移住。
バーモントにて、ザ・ファッグ&フライング・ファックというゴーゴル・ボルデロの原型といえるバンドで活動した後、97年、ニューヨークへ移住。この頃から母方の姓であるハッツを名乗り始める。99年、多文化、多国籍、多民族、多言語のアーティストからなるジプシーパンクバンド、ゴーゴル・ボルデロを結成。(*バンドの活動については別項を参照)。
以来、ゴーゴル・ボルデロのフロントマンとしてカリスマ的人気を誇る一方、DJ、ロマ文化の伝道師、俳優としても目覚ましい活躍を見せている。中でもマンハッタンのブルガリアン・バーMehanataを拠点とした彼のDJ活動は、メディアでも大きく取り上げられ、今や同店は東欧文化のメッカと呼ばれるまでになった。映画界においては、イライジャ・ウッド主演の『僕の大事なコレクション』(06/リーブ・シュライバー監督)の準主役と映画音楽をつとめて脚光を浴びたほか、彼自身のルーツを辿る東欧横断の旅がドキュメンタリー“The
Pied Piper of Hutzovina”(06/パヴラ・フライシャー監督)として製作されている。
また、ユージンの存在が様々なクリエイターに与える影響も計り知れない。多数の映画賞を受賞したゴラン・デュキック監督の”Wristcutters: A Love
Story”(07/原作はイスラエル映画『ジェリーフィッシュ』の監督のエトガー・ケレット)には、彼をモデルにしたユージンというキャラクターが登場する。ファッション業界からの注目度も高く、08年秋冬のグッチのミラノ・コレクションでは、クリエイティヴ・ディレクターのフリーダ・ジャニーニが、インスピレーションを強く受けたアーティストとしてユージンの名を挙げている。
ユージン・ハッツ(Vo.)率いるジプシーパンクバンド。1999年、ウクライナ、ロシア、イスラエル、アメリカなど様々な国籍からなるメンバーによってニューヨークで結成。バンド名は、『死せる魂』『外套』などで知られるウクライナ出身の作家ニコライ・ゴーゴリ(綴りは同じGogol)と、売春宿を意味するボルデロに由来する。ジプシー音楽とパンク、メタル、ヒップホップ、フラメンコ、ルーツレゲエ、ウエスタン、ダブなど世界中の反逆者たちの音楽を融合させたその過激で荒々しいサウンドと、哲学的で政治的な歌詞、そして何が起こるかわからない予測不能なステージ・パフォーマンスは、あらゆるジャンルの壁を破壊し、熱狂的なファンを生み出してきた。近年は、世界各地のフェスはもちろん、著名な美術館でも演奏を行うなど、多彩なライブ活動を展開。2007年のライヴ・アースでのマドンナとの競演、08年のフジロック出演などにより、日本での知名度も急上昇中である。

●Discography(アルバムのみ)
1999 Voi-La Intruder
2002 Multi Kontra Culti vs. Irony
2005 Gypsy Punks: Underdog World Strike
2007 Super Taranta!
海外レーベル:SIDE ONE DUMMY
日本国内レーベル:bullion/WAVE MASTER

1985年イギリス生まれ。名門ロイヤル・アカデミー・オブ・ダンス(RAD)にてバレエを専攻。プロダンサーであり、モダンダンス、タップダンスなども得意。2002年、ケミカル・ブラザーズの「ザ・テスト」のPVに出演し、幻想的な映像に調和した彼女の美しい肢体が注目を集める。03年からは、テレビドラマ、CM、舞台など多方面で活躍。そのスリムな容姿からCMでケイト・モスのボディダブルを演じたこともある。06年、マドンナが監督・出演したH&MのCMに起用され、一躍話題に。本作以降も出演映画が控える期待の新進女優。

983年イギリス、ノッティンガム生まれ。99年、シェーン・メドウズ監督(『家族のかたち』)の“A
Room For Romeo Brass”に出演し、注目を浴びる。2006年にも同監督の“This is England”(英国アカデミー賞最優秀作品賞受賞)にも出演し、高い評価を受けた。現在は映画以外にも、テレビドラマなど活躍の場を広げ、若手実力派女優として着実にキャリアを築き始めている
。

1957年アフリカのスワジランド生まれ。南アフリカ共和国のケープタウン大学で演劇を学び、在学中に劇団を旗揚げする。82年にロンドンに移住。舞台やテレビでの活動を経て、87年のカルトヒット『ウィズネイルと僕』で映画俳優としてブレイク。以降、数多くの話題作に出演し、主な作品に『ドラキュラ』(92)、『ザ・プレイヤー』(93)、『エイジ・オブ・イノセンス』(94)、『プレタポルテ』(95)、『ある貴婦人の肖像』(97)『ゴスフォード・パーク』(02)、『ペネロピ』(08)などがある。2005年、スワジランドでの少年時代をベースにした半自伝映画“Wah-Wah”で監督デビューを果たした。

968年イギリス、ロンドンでインド人とイラン人の両親のもとに生まれる。オクスフォード大学で現代史を学んだ後、セラピストなどの職を経て、2001年からスタンダップ・コメディアンとしての活動を開始。その年のうちに複数の著名なコンテストで決勝まで残り、驚異の新人として話題を呼ぶ。アジア系イギリス人である自らの体験をもとに、イギリスの多民族社会を鋭く斬るネタで人気を博す。04年、EMMA賞(メディアにおいて多文化を推進した人に与えられる賞。ネルソン・マンデラやスティーヴィー・ワンダーなどが受賞している)ベストコメディアン賞を受賞。

ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーやロイヤル・ナショナル・シアターなどの公演に数多く参加し、舞台俳優として高い評価を受ける一方、テレビや映画でも活躍している。主な出演映画に『クイーン』(07)、ダスティン・ホフマン主演の“Last Chance Harvey”(09年公開予定)など。